2024/06/09 18:00


お久しぶりの更新となりました。スタッフのほんだです。


今回は、

・古いうつわ

・手のひらサイズのうつわ

・その取り入れかた

について、最近思うことをぽちぽちと書いていこうかと思います。


わたくしほんだ、トリノスに勤めはじめて2年余り、このごろは古い食器が気になります。

理由を説明するのが少々むずかしいので、グッドなポイントをひとつずつお伝えしていきながら、その魅力を言語化してまいりたいと思います。




染付蛸唐図 向付 ¥3,300-

江戸幕末~明治初期頃のものと存じます。
向付とは、お料理を盛り付けるための小さなうつわです。懐石料理でも、向付と呼ばれる最初に配膳される料理があります。
居酒屋さんで言う「お通し」を盛り付ける小鉢のようなサイズ感です。





いわゆる「ドロボーのふろしき柄」みたいなのにトゲトゲがついた模様。
「蛸唐草文様」といって、子孫繁栄や長寿などの縁起を担ぐ文様ともいわれ、19世紀ごろから広くみられるようになった簡略化された描き方かと思われます。こういった柄の和食器は現行のものにも多く見られ、パターンとしては珍しくはないですね。

近年は100円ショップでも、有田焼風や備前焼風などの器がクオリティ高めでスタンダードに並び、査定の際の「良質な」食器の見分けも難しくなっているように感じます。作家物と量産品を見分けることは、時として簡単ではありません。




こういった焼き物において、年代をおおよそで判断する/一目で魅力を感じる個人的なポイントの一つはこの高台にあります。

ここの風合いが、「なんか古そう(主観)…!」と感じた時に、めっちゃ古くて希少なやつなんじゃない?すげ~品物なんじゃない?てか可愛くない?となって、年代や窯元などの詳細を深堀してみようとなるわけです。




日常使いする食器ですから、常に接地する底面はどうしてもよごれやスレなどによるダメージが定着します。
うつわは口にあたるものなので、綺麗であるに越したことはないのですけれども、ここの劣化具合にはもの自身の歴史も感じますし、道具としてのタフさも見て取れます。




もちろん、古い食器にはヒビや割れもつきものです。
ただ、つくられたと思われる年代を考えると、何十年、百年以上前のものがこれだけ原型をとどめて現在までサバイブしてきたと思うと、この程度のダメージは気にならなくなってきたところです。むしろカッケ~




製造の工程でできたと思われるこうした穴、いわゆるピンホール的なもの、つまり現代の生産の世界で発生したらB品とみなされ市場に出回らないものになってしまうような現象も、古い製品には見受けられます。
そんな歪みや凹凸の目立つ古道具にこそ、作った人や時代の面影を感じられてぐっと来るものがあります。




もうひとつ、古い食器の愛すべきポイントは、個体差です。
見込に描かれた文様。おそらくこれは環状松竹梅という柄になります。どちらも軽やかな筆遣いで、なかなかに簡略化されており正直どれが松で竹で梅なのか…そして片方はほぼ線のみで描かれ、結構な違いがあります。
この個体差が、人間の手によってつくられたものだからこその良さでもあります。


なにかしらの欠損やクオリティのばらつきがあっても、ワレモノである食器が、こうしてまだまだ使える状態を保ったままここにやってくることに果てしない感謝を覚える次第です。

ヒビがあっても残っているということは、使っていた人が割り捨てずに大切にしていたんだろうな、とか
同じものでも個体差があると、大昔の職人がひとつひとつ作ったんだろうな、とか
手の中に納まってしまうようなひとつのものから、どこまでも想像が膨らんでいくことにも魅力を感じるのかもしれません。




このような和食器をどのように取り入れているか少しだけご紹介します。


たくさん並ぶと凄みが増して、おじいちゃんおばあちゃん家感や料亭感があふれやすいイメージの和食器ですが、組み合わせで遊ぶのもひとつの楽しみ方だと思います。




これはお気に入りの古い印判の湯呑。少々欠けがありますが、耐水ペーパーの#60→#240で軽くやすったら鋭利さはなくなったので、気兼ねなく使っています。
どちらもトリノスで購入したもので、左のちいさなポットは西洋のメーカーのものですが、並べてみると案外マッチしてかわいいものです。

和食器は北欧食器やモダンな雑貨など、合わせるもの次第で現代にもなじむテーブルメイキングができます。

ジャンルを問わず商品を取り扱うトリノスで、オリジナルのテイストをつくりだしてみましょう。







気泡入りガラスタンブラー ¥2,200‐

胴の一部が膨らんだスリムなタンブラー。この清涼感は水を飲むだけでもすがすがしいきぶん、になれそうです。カフェのようにレモン水とかもいいですね。
何かを飲むためにこれを使うというより、これを使うために飲み物を選びたい感じです。そんなニュアンスの良さイズあります。


影に注目するとよくわかりますが、現行の量産品にはあまり見られない波打つような跡や気泡が見られます。

古いガラス製品や宙吹きガラスの特徴で、形を整えるための道具の跡やガラスの原料を熔かしたのちに取り除けなかった気泡、原料に混ざる不純物(無害)などによるものです。

今ではこれらは無い方が美しいとされ、こういった現象が出てしまった商品はB品とされることが多いのではないでしょうか。




このように大きな気泡が見られます。作り手や販売側として気泡があるものを避けたい理由の一つには、気泡がある部分は他のところに比べてガラスが薄く割れやすいため、というものがあります。
割れやすいといっても、うっかりどこかにぶつけてしまったときにガラスが薄い分、比較的割れやすいという意味で、つよい衝撃を与えたり重ねすぎの重みで圧をかけたりしない限りは使用には問題ないものも。




気泡が出ないように技術が進歩したことや、作家の意向で気泡のあるものの出回りが少なくなったなどさまざまな理由が考えられますが、わたしは単純にこのプッチリとした可愛さに放っておけない愛嬌を感じるのでけっこー好きです。

さらにガラスは分子構造的に固体か液体かでいうと、「動きが凍結した液体」であるといえる側面もあるのです。そう考えるとこの気泡も、水が固まったような状態だということに説得力を与える存在にも感じられます。



枡 ¥880‐ / 古いお盆 ¥1,650‐

そんなタンブラー、こんな使い方はどうでしょう。
居酒屋さんで日本酒を頼んだ時、こんな風に枡に入れて出してくれるところもありますよね。自宅で食事をするときにお店の真似をして、ちょこっと余剰なアイテムを取り入れてみると本格的な感じがして楽しくなります。ただし洗い物は増えますので、後片付けまでひと頑張りしましょう。
家で飲むにも、ペースが早い方はお猪口だとすぐに注がないと追いつかない、という方にもおすすめのサイズ感です。






古い気泡入りグラス ¥1,760‐

古いガラスつながりでこちらもご紹介させてください。上記の魅力が詰まった同じく気泡入りの小さなグラスですが、ずいぶん旅立ちません。
なんでーーー




瑠璃色のグラスは影もいっそう美しいです。窓辺に置くと、朝の光と夕方の陽の光とでちがった見え方がしますし、ものの無いところに色が落ちているという現象が、家の中のお気に入りのポイントにもなると思います。




やはりこちらもたいへん古いお品と存じますので、ダメージ・気泡ともに目立ちます。



こういったものは、植物を生けるためにひとつあるとなにかと活躍します。
買ってきたばかりの生花をこのサイズに切るのではなく、観葉植物を剪定したときに出る元気な葉をもう少し楽しんだり、まだ綺麗に咲いているのに茎だけ弱ってしまったお花を、短く切って水の吸い上げを助けてあげたりなどにぴったりな小ささです。
キッチンや洗面台などの水回りに置くと、いつもの生活に少し特別感が出るかもしれません。






藤本咲・作 お猪口 ¥3,300‐

最後は現代作家さんのもの。手のひらサイズ、という点でご紹介したいうつわです。

パートドヴェールという技法でつくられた酒器。原型を制作してそれを石膏で覆い、原型を取り除いた石膏型にガラスの原料を詰めて窯で熔かすというもので、さらに加工を施したりと工程も多く手間のかかる手法ですが、そんな背景の重みを感じさせない軽やかで澄んだ存在感です。
吹きガラス同然の同心円形がうつくしい…




小さな美しいうつわを手に取るとき、持っている自分の手の形がなんだかよかったりすると、ずっと触れていたくなります。これもちょっとニュアンス的な感覚ですけれど、この視点は特に酒器に対して発動しやすいように思います。

酒器が、「持った感じが良い」となんとなくお酒がおいしい気がしたり、素敵な酒器に合わせる料理の見た目やうつわも凝りたくなって、最終的にいい感じの食卓になったりなんてこともあるかと。




かたちだけでなく縁に走る金彩や、静かな存在感を放つ気泡も見惚れてしまいます。
軽すぎず重すぎず、マットな手触りが心地よい。





手のひらで包み込み、永く大切にしたくなるようなうつわをセレクトしてご紹介しました。

うつわを買うとき、可能な場合は手に取ってみると、愛着をもってそれを使っている自分の姿がより想像できると思います。






ほんだがうつわに対してナイスに感じるポイントは、


・つくった人や時代背景の想像が広がって

・長いあいだ大切にされてきて残った姿で

・持ってる手がなんかいーかんじ


といったものが挙げられるようです。
トリノスでも、そんなものに出会えることがありますよーうに



ほんだ